「クリスチャンが事実婚でもいいのでしょうか?」
「クリスチャンが事実婚でもいいのでしょうか?」と言う質問をいただきました。
「聖書は結婚について何と言っているのか?」
「今増えてきている事実婚は神様に喜ばれることなのだろうか?」
「神様に祝福される夫婦になるにはどうしたらいいのだろう?」
こんな風にあなたが思われているなら、この記事が役に立つと思います。
そもそも「事実婚」とは何なのか?
そもそも事実婚の定義は何でしょうか?
ウィキペディアには次のようにあります。
事実婚(じじつこん)とは、婚姻事実関係一般を意味する概念[1]。「事実婚」の概念は多義的に用いられ、婚姻の成立方式としての「事実婚」は「無式婚」ともいい要式婚(形式婚)と対置される概念であるが、通常、日本では「事実婚」は法律婚(届出婚)に対する概念として用いられている。
つまり、婚姻届けを出さないで夫婦として生きていくこと、と理解することができます。
聖書が語る結婚の定義とは?事実婚は認められる?
一方、聖書は次のように結婚を定義しています。
それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。創世記2:24
http://bible.salterrae.net/kougo/html/genesis.html
人が両親と離れて、妻と結ばれ、一体となること、これが聖書の結婚の定義です。
この「父と母を離れ」と言う部分は、結婚する二人が夫婦として、両親から独立して家庭を作ることを意味しています。
これは公に二人が夫婦であることを宣言し、お互いに愛し合い、支え合うことを神様と人の前に証しする意味があると考えられます。
神様の言葉に従うクリスチャンが事実婚を選ぶ理由は?
このように夫婦の関係を公に証しすることを聖書は語っているのにもかかわらず、婚姻届けを出さずに夫婦として暮らす理由があるかどうかは、人それぞれの事情があるので判断が難しいところです。
夫婦の関係をあえて公にしない理由はなんでしょうか?
婚姻届は「形」だけのものだから、自由な人であるクリスチャンは社会の形式にとらわれる必要はないのでしょうか?
確かにクリスチャンはイエス様にあって自由です。
形にとらわれる必要はないかもしれません。
しかし、ルターが言うように
「キリスト者は誰からも自由であると同時にすべての人のしもべである」
はずです。
自らの「自由」を主張して婚姻届けを出さないこともできるかもしれません。
でもはたして周りの人々にとってそれは役に立つことなのでしょうか。
ご両親の気持ちはどうでしょう?
お子さんが生まれてきたらその子たちはどう感じるでしょうか?
婚姻届けを出すことによって、夫婦としての自らの立場を公にすることは周りの人にとっての親切と考えることもできるのではないでしょうか。
聖書の命令は次の二つです。
- 神を愛しなさい。
- 隣人を自分自身のように愛しなさい。
この二つを考えると答えが見えてくると思います。
筆者プロフィール
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27歳の時、婚約者との擦れ違いを解決できず結婚目前で婚約解消。
その後、この婚約解消の二の舞を踏まぬよう男女関係や夫婦関係修復の法則を聖書から学ぶように。
2010年、夫婦関係修復カウンセラーとして独立。延べ1,000人以上の夫婦をカウンセリングし離婚危機から救う。
現在は、妻に惚れこむ二児の父。
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